わかしょ文庫|うろん紀行 第9回 産業道路

うろん紀行

WEB連載「うろん紀行」が2021年8月に
書き下ろしを加えて書籍として代わりに読む人から刊行されました。
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第9回 産業道路

 大江健三郎の『万延元年のフットボール』を読むのに最も適した場所はコストコなのではないか。ふと頭によぎった仮説が真実かどうか確かめることにした。わたしはコストコに行ったことがない。コストコはアメリカからやってきた、物を安く大量に購入できるスーパー。行ってみたい気はしていたものの、年会費がかかり足繫く通わないとお得にならないため、あきらめていた。だが仮説検証のためには行くしかない。わたしは使命感に燃えていた。 自宅から最も近いコストコは、「コストコホールセール 川崎倉庫店」である。最寄り駅は産業道路駅だ。わたしはICカードに多めにチャージし、まずは京急川崎駅へと向かった。階段を降りたあとに改札を出ず、左側に抜けるとそこが大師線のホームである。大師線は多摩川に沿って東へと延びていく路線で、いまいち目的地のはっきりしないところが乗客のすくなさや、車内に漂う牧歌的な雰囲気に表れている。

『万延元年のフットボール』は、語り手の根所蜜三郎にそっくりな親友が、奇妙な方法で自殺したことが明かされるところからはじまる。親友は朱色の塗料で頭と顔をぬりつぶし、素裸で肛門に胡瓜をさしこんで首を吊って死んだのだ。蜜三郎は、重い知的障害を負った長男を養護施設に預けたことに罪悪感を抱いている。妻の菜採子はウイスキーが手放せない。蜜三郎の弟の鷹四は、かつては安保闘争に身を投じ、その後はアメリカを放浪していた。鷹四の帰国を契機に、蜜三郎たちは育った集落である四国の「谷間」に戻って新生活を始めようとする。ところが「谷間」はかつての習慣が失われ様変わりしており、朝鮮人部落出身の天皇が経営するスーパー・マーケットの存在がその一因となっているようだ。鷹四は、曾祖父の弟がおよそ百年前に行った一揆をなぞらえるようにして、スーパー・マーケットの天皇に反旗を翻そうとする。

 もちろん、この「スーパー・マーケットの天皇」にちなんで、コストコで読んでみたらどうだろうかと思ったのだ。 産業道路駅は洞窟を思わせる暗い駅で、工事中らしかった。駅を出ると高速道路の高架が見えて、空は晴れていたが圧迫感がある。ここから2.4キロメートル歩く。三十分ほど道路沿いに歩くと、巨大な白い四角形の建物が目に入った。これがコストコか。

 車にひかれないように気を付けながら駐輪場の前を通り、コストコの出入口の前にたどり着いた。十人ほどの人たちがコンクリートでできた段差に座り込んで、ピザやらハンバーガーやらを食べている。嫌な予感がした。フードコートがいっぱいなのかもしれない。これでは居座って『万延元年のフットボール』を読むことは難しいだろう。

「いま     、が東京でやっているすべてのことを放棄して、おれと一緒に四国へ行かないか? それは新生活のはじめ方として悪くないよ、     、!」[p.69]

 何はともあれ入会しようと店内に入った。ものすごい人で、どこにどう並べば入会できるのか全くわからない。カジュアルな格好をしている店員にためらいつつも話しかけると、バインダーにはさまれた書類に必要事項を記入して列に並ぶよう促された。貼りついたような笑顔の女性に言われるがままにマスクを外し、青色のスクリーンの前に立って顔を撮影され4880円を支払うと、カードが発行された。これで入会完了というわけである。受け渡されたカードの裏側には、白黒で映るぼんやりとしたわたしがいた。目に光がなく病人のようである。前触れなく撮影されたので両方の肩の高さが著しくずれていた。

 会員登録スペースの奥にあるフードコートは、黒山の人だかりで大行列になっている。しかし回転が早いのではと意を決して並ぶと、予想通り列が進むのは早く、わたしはプルコギベイクとコールドブリューコーヒーを注文した。

「お砂糖とミルクは必要ですか」

「いらないです。アイスで」

「えっと」

「アイスで」

 フードコートは空いている席がひとつもなかった。会員歴が最も浅いわたしは気圧されるようにしてもう一度外に出た。コンクリートの段差に座り込み、三十センチくらいあるアルミホイルの包みをあけた。

 プルコギベイクとは、フランスパンのような固めのパンの内側が空洞になっていて、そこに味のつけられた牛肉がこれでもかと詰まっているというものだ。野蛮にかじりつくたびに肉汁があふれだす。すこししょっぱいけれども美味しい。片手で持って貪りながら、もう片方の手で本を持って読み始めた。もちろん「スーパー・マーケットの天皇」が朝鮮人部落出身だからプルコギベイクにしたのだ。

 四歳くらいの男の子がわたしのとなりで、叫びながら飛び跳ねていた。ベビーカーのなかの弟も、呼応するように悲鳴をあげはじめた。

「やめなさい!」

 母親らしき身ぎれいな格好をした女性が、醸し出すプチ・ブルの雰囲気にふさわしくないほど激しく怒っていた。父親も険しい表情で男の子の頭を軽くはたいた。すみません、と小声でわたしに向かって言うので、軽く会釈しておいた。男の子はそれでもまだ、怒られる境界線を探るかのように小刻みに跳ねていた。

それから僕は、街路いっぱいの老人たちのなかに、縊死いしした友人と、養護施設におくりこまれた白痴の赤んぼうが、やはり帽子を耳もとまでかぶり黒っぽい服を着こみ、深い靴をはいて参加していることに気づく。(中略)かれらの世界にむかって駆けこもうとし透明な抵抗力に阻まれて、僕は悲嘆の声をあげる。

 ――僕がきみたちを見棄てた![p.60]

 ここで本を読むべきではないな。わたしは空になったアルミホイルをまるめ、もう一度コストコにはいった。会員証をかざすと、まずは大型テレビが売られていた。誰がコストコでテレビを買うんだろう。

「スーパー・マーケットが、森の高みに共同アンテナを立ててテレヴィを売りこんでねえ、アンテナ権が三万ですが! それでも窪地で十軒は、テレヴィをつけましたが!」と助役はいった。[p.219]

 子供用のキーボードが陳列されているのが目にはいった。数十種類の音色が出せて、簡単な打楽器のボタンもついて数千円だ。試しに弾いてみたら気恥ずかしいながらも楽しく、欲しくなってしまってはっとした。これがコストコの策略か。こうして金銭感覚を麻痺させて、欲しくもないものを買わせる魂胆なのだろうか。子供用のキーボードなんてその実、わたしは全く必要としていないのだった。

スーパー・マーケットの出口からはまた二、三人の女たちが出てきて外側で待ちうける連中に迎えられたが、出てきた女たちのひとりは、「こげなもの!」と自嘲的な荒あらしい嘆声をあげた。それは顔を赤銅色に上気させた中年女で、ゴルフ・クラブをかたどった青い合成樹脂の玩具をふりかざし、眉根をしかめしかもクッ、クッと笑っているのである。[p.153]

 山盛りの洗剤やすっかり空になったトイレットペーパーの棚を通りすぎると、子どもがいたるところで絶叫し、走り回っているのが見えた。声があたりに響き渡るので、自然とそれを注意する声も鋭いものになっている。みんな幸せになるために買い物がしたくて、それでスーパーに来るんじゃないのか? しかし目にはいる人々は殺気立ち、苛立ちを隠せない様子だ。ベーグルは最低でも十二個から。ポルトガル風エッグタルトは十六ピースで798円。ディナーロールという名の小さなパンが三十六個入りで458円。きっと安いのだろう。けれどももう、一個あたりいくらなのか確かめる気にならなかった。両手でもあまるであろう血のしたたるようなひき肉、皿いっぱいのサーモン。わたしは目にする情報量の多さに、すっかり疲れてしまっていたのである。こげなもの!

 コストコはあまりにも広く、あまりにもたくさんのものが売られていた。うろうろしていると、なんとそこには庭に設置するためのテーブルとイスのセットがあった。ハンドルで左右に動かすことのできる、日よけにおあつらえ向きの巨大なパラソルまで飾られている。もしかして、ここでならゆっくり本が読めるんじゃないか。わたしは生唾を飲んだ。とりあえず、無害な客を装ってここに座ろう。

「(前略)おれは、ひとりの人間が、それをいってしまうと、他人に殺されるか、自殺するか、気が狂って見るに耐えない反・人間的な怪物になってしまうか、そのいずれかを選ぶしかない、絶対的に本当の事を考えてみていた。その本当の事は、いったん口に出してしまうと、懐にとりかえし不能の信管を作動させた爆裂弾をかかえたことになるような、そうした本当の事なんだよ。(後略)」[p.258]

 わたしが座ってからちょっとして、ご婦人が二人、巨大なカートを横につけて同じテーブルセットのイスに腰かけた。

「これ偽物よ」

「えっ」

「ほら、木じゃないわ」

 二人は各々の手でテーブルを何往復かさすったので乾いた音がした。

「本当だ。木に見えるよう塗っているだけね」

「地方の人ならまだしも、こんなもの買ったって! 置く庭がないわよ。ひどいものね」

 わたしは立ち上がり、よろめきながらその場をあとにした。

 会計をしている人のうしろをすり抜けるようにしてレジの外に出ると、わたしはフードコートに戻ってきてしまった。まだ人はたくさんいるものの、ランチタイムから時間も経ったことでまばらに空席が見える。一人でコーヒーを飲んでいた初老の男性に座ってもよいか了承をとって、わたしはその人の斜め前に陣取った。

「この窪地に朝鮮人が来てからというもの、谷間の人間は迷惑をこうむりつづけでしたが! 戦争が終ると、朝鮮人は、土地も金も谷間からぎとって、良い身分になりましたが! それを少しだけとりかえすのに、なにが同情してかからねばなりませんかの?」

「ジン、もともと朝鮮人は望んで谷間に入って来たのじゃないよ。かれらは母国から強制連行されて来た奴隷労働者だ。しかも僕の知っている限り、谷間の人間がかれらから積極的に迷惑をかけられたという事実はない。戦争が終った後の朝鮮人集落の土地の問題にしても、それで谷間の個人が直接損害をこうむったということはなかっただろう? なぜ自分の記憶を歪めるんだ?」[p.307-308]

 しばらく読み進めると男性は立ち去り、代わりに英語を話す黒人の男性とアジア系の女性がやってきた。コストコはどうやら外国人の利用客が多いらしく、彼以外にも大勢の外国人がいた。彼らは日本語と英語をちゃんぽんに操り、笑いあっていたが、二人は徐々に真剣なまなざしへと変わり、ついには女性が今にも泣きだしそうな顔でこう言った。

「ここから先、自分を自分に戻すにはどうすればいいのかわからないの。自分の位置が」

 男性はガールフレンドを抱き寄せ、ここが君のいる位置だよ、とでも言いたげに慰めていた。一方、『万延元年のフットボール』は終盤に差し掛かっていた。

「おれたちの暴動なら、力を完全に盛りかしたところだ。     も、『御霊』をかこむ谷間や『在』の人間の熱狂ぶりを見ただろう? おれたちはあれで暴動に輸血したんだ。暴動に想像力の血をたっぷり輸血して力を盛りかえさせたところだ!」と最初、二階の僕に呼びかけた声の昂揚感を回復して鷹四はいった。[p.360]

『万延元年のフットボール』における朝鮮人部落の朝鮮人たちは、予科練帰りの蜜三郎と鷹四の兄を殴り殺したが、兄たちもまた朝鮮人を殺していた。鷹四は過去の安保闘争や、曾祖父の弟の一揆を真似たスーパー・マーケットの天皇への謀反によって、彼自身の「本当のこと」から逃れようとしていたことが明らかになる。そしてクライマックスが訪れた。わたしに強烈な快感の波がやってくる。凄惨な描写の果てに、わたしはたしかに癒されていた。たしかにこの本は癒すために書かれた本だ。あまねく癒されたい者は『万延元年のフットボール』を読むべきだ。もう、コストコに怒りの矛先を向けるのはやめよう。コストコがなければこの地域から数百の雇用が失われてしまうだろう。わたし自身の「本当のこと」から目を背けて、コストコを憎むのはやめよう。

 結論づけるならば、コストコで『万延元年のフットボール』を読むのは無理があった。うるさすぎるし、コストコは本を読むための場所ではないからだ。だからあまりおすすめしない。

 わたしは欲しいのかどうかもわからない、ブラジル産の若鶏まるごと一羽を使ったロティサリーチキン699円を買い、会員証を払い戻しした。期間内であれば、係員を前に針のむしろに座るような思いをすることと引き換えに、4880円が返金されるのである。わたしはコストコの会員権を向こう一年失い、巨大な若鶏を抱えて駅へと向かった。外はもう真っ暗で、いくつかの星が鈍く光るだけだった。

(つづく)

参考文献
大江健三郎『万延元年のフットボール』(講談社文芸文庫)、一九八八年

著者紹介:わかしょ文庫(わかしょぶんこ) 91年生まれ。都内在住の会社員。昨年5月に出したエッセイ集「ランバダ」がひそかに話題を呼ぶ。11月に文学フリマ東京に出品した続編「ランバダ vol.2」も好評を博す。Twitter @wakasho_bunko

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