わかしょ文庫|うろん紀行 第7回 馬喰町

うろん紀行

WEB連載「うろん紀行」が2021年8月に
書き下ろしを加えて書籍として代わりに読む人から刊行されました。
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第7回 馬喰町

 夜行列車に乗って宮沢賢治『銀河鉄道の夜』を読もう。思いついたのはいいのだが、夜行列車「トワイライトエクスプレス」「北斗星」「カシオペア」はいずれも北海道新幹線開業を機に廃止となっていた。「サンライズ瀬戸・出雲」に乗車することも考えたが、南下するし、目的地に到着してからが問題だ。その時点で目的はすでに達成されてしまっているからだ。ただただ朝日を浴びて、そうしてまたすぐ帰りの列車に乗ればよいのだろうか。

 どうしようかと検索を続けていると、馬喰町に、北斗星の座席や調度品をそのまま使ったユースホステルがあることがわかった。その名も「北斗星」。さっそく年末の金曜の夜に予約をとった。

 予約当日、職場は年の瀬に浮かれていた。仕事納めなのだ。すでに連休にはいっている者も多い。残った者たちも別段すべきこともないのに、気持ちだけがはやって空回りしているようだ。

 日も沈もうとする頃、仕事もそこそこに集まるよう号令がかかった。定年退職を迎える人の長い挨拶があった。

「退職までに死なないこと。これがわたしの人生の第一の目標でした。この目標がかなったいま、わたしはとても幸せです」

 わたしは彼のスーツに輝く金色のボタンを見ていた。

 差し入れの高いワインで乾杯がはじまった。今年は予算削減のためにすし桶がない。ひととおり会が終わり、わたしはあまった日本酒の一升瓶を抱え、顔を真っ赤にしたまま馬喰町へと向かった。

 ホステル「北斗星」は総武線馬喰町駅4番出口直通である。外に出るとすぐに「北斗星」と書かれた光る丸い看板があるのでわかりやすい。中に入って受付をすませ、部屋へ向かった。わたしのベッドは二階の202下段だった。すでにカーテンを閉めて寝ている人がいたので、邪魔にならないよう物音を立てないようにコートを壁にかけ、そっと枕の位置を動かして横になる。読書灯をつけたり消したりした。スイッチの感触が楽しい。

 全身がまだ火照っていた。飲みすぎた。ワインも日本酒も久しぶりで、調子にのってたくさん飲んでしまった。人と一緒にお酒を飲むと覚めたときに余計むなしくなる。なるべく断酒しようと思っていたのに。次こそは気をつけよう。けれどもきっとずっとこのままなんだろう。意志薄弱だから、人と飲酒をするときの、つかの間わかりあえているのではという幻想を見る誘惑に負けてしまうのだ。

 ぼんやりと天井を眺めると、白くて何のとっかかりもなくすべすべとしていた。いかにも列車だという気がした。今夜、このカーテンで閉じられた内側はわたしだけの空間だ。

 シャワールームで汗を流し、海老茶色の作務衣のような館内着に着替えた。ベッドに戻ってペットボトルのお茶をごくごくと飲む。ずいぶんと美味しく感じる。わたしは読書灯をたよりに『銀河鉄道の夜』を読み始めた。室内は静かで、空調とわたしがページをめくる音しか聞こえない。

 ザネリ嫌なやつだな。ザネリは、カムパネルラのことをからかう少年の名だ。それも、カムパネルラが気にしている父親のことを口にする。でも、わたしもどちらかというとザネリ寄りの人間だろうな。ジョバンニとカムパネルラは純粋すぎる。ザネリはきっと二人のことがうらやましいのだ。わたしはもう自己犠牲の精神を失ってしまった。

 幼稚園の頃、木工用バンドのふたをなくしたと騒ぎ立てる子に、それならわたしのをあげると差し出した。それならあなたのが固まってしまうじゃないと先生に言われ、周りの子みんなから笑われた。あのときわたしは一人きりで、もう二度とこんなことはやめよう恥をかくだけだ、と思ったのだった。

 酔いも覚め、なんだか悲しくなってきた。共用キッチンからもらってきたコップにこぼさないように日本酒をいれてあおった。自宅からそう遠く離れているわけでもないのに、本当の旅みたいな感じがする。

 気がついてみると、さっきから、ごとごとごとごと、ジョバンニの乗っている小さな列車が走り続けていたのでした。ほんとうにジョバンニは、夜の軽便鉄道の、小さな黄色の電燈のならんだ車室に、窓から外を見ながら座っていたのです。車室の中は、青い天蚕絨を張った腰掛けが、まるでがら空きで、向うの鼠いろのワニスを塗った壁には、真鍮の大きなぼたんが二つ光っているのでした。[203p]

 ジョバンニはいつのまにか銀河鉄道に乗っている。前の席には誰あろうカムパネルラがいる。銀河鉄道はアルコールか電気か、なにか不思議な力で天の川や星々のあいだを静かに走っていく。彼らと一緒に旅をするのはこれで何度目になるだろうか。横にたたずむようにして彼らを見守っているような気持ちになる。停車場から歩いた河原は一粒一粒が小さな宝石でできている砂がいっぱいで、水は燃えるみたいに光る。彼らが驚くものひとつひとつ、わたしはすでに全て知っている。

「ここへかけてもようございますか。」[216p]

 鳥捕りだ。鳥を捕まえてチョコレート味の食べられる押し葉にしてしまうひと。以前は奇妙に思ったが今はそうでもない。とある展覧会で、引き出しいっぱいに平べったい鳥の剥製が折り重なってしまわれているのを見たからだ。あれもきっとチョコレートの味がするのだろう。ジョバンニにもカムパネルラにもなれないのならば、鳥捕りになりたかった。この世のものとも思われない美しいものを捕まえて、人々にとって甘くて美味しくて気軽に食べられるものに変えてしまう。そんなことができたら、どれだけ素晴らしいことだろう。

 わたしは日本酒を一口すすり、袋を開けてスルメをかじる。ジョバンニとカムパネルラは、船が氷山にぶつかって沈んでしまったという子供たちと出会う。ジョバンニはカムパネルラが楽しそうに話をしているのを見て嫉妬をするが、やがては子供たちともさよならをしなければいけなくなる。ジョバンニとカムパネルラはまた二人きりになった。わたしは一度本を閉じ、横になった。手を伸ばしてペットボトルをとってお茶を飲み、そうしてまた元に戻した。目を閉じる。

 わたしもまたわたしにとってのカムパネルラたちと過ごした無数の夜があった。夜中に外をどこまでも駆けていったこと。海を見に行った日。車窓にうつる憂いを帯びた顔つき。いくつもの記憶が、まばゆいばかりの色彩を伴ってまぶたの裏でちらつく。わたしはいつも、どこか大人びた雰囲気をもつ誰かにひかれ、彼ら彼女らと過ごすことで、わたし自身に数え切れないほどの問いかけをしていたのだった。カムパネルラたちは皆、わたしの知らないことをよく知っていて、生きるということにわたし以上に深い洞察力を持っていた。みな見聞きをする力があり、俗世に対してどこか冷めてあきらめていた。そんなカムパネルラたちと二人きりでいると、わたしも一緒にどこか遠くに連れて行ってくれそうな気がしたものだ。わたしはどこまでもどこまでもカムパネルラと一緒にいたかった。

「カムパネルラ、僕たち一緒に行こうねえ。」ジョバンニが斯う云いながらふりかえって見ましたらそのいままでカムパネルラの座っていた席にもうカムパネルラの形は見えずただ黒いびろうどばかりひかっていました。ジョバンニはまるで鉄砲玉のように立ちあがりました。そして誰にも聞えないように窓の外へからだを乗り出して力いっぱいはげしく胸をうって叫びそれからもう咽喉いっぱい泣きだしました。もうそこらが一ぺんにまっくらになったように思いました。[256-257p]

 わたしは勝手に、平凡な人間にカムパネルラを投影して自分を洗脳していたのかもしれなかった。見たいものしか見たくはなかった。一年も経つとカムパネルラと誰かとのずれは無視できないものになる。やがては疎遠になり、ずっと一緒にいるということができなくなってしまう。わたしによって勝手にカムパネルラにされたみんなもそのずれに気が付いていたのだろうか。

 眠りに入る前に、わたしは同僚が言っていたことを試そうとしていたことを思い出した。夜行列車のなかでテクノなどの規則性を持つ音楽を聴くと、脱力感と浮遊感があり自己同一性を失ってしまいそうになる。それが言いようもなく気持ちいいらしい。わたしはどうしてもその感覚を共有したかった。

 用意していた曲を聴きながらしばしうとうとした。トパーズ、チョコレート、ふたつの金ぼたん、アンタレスはさそり座の赤い星のこと。支離滅裂な言葉が頭に溢れていることに気がつき、目が覚める。ここは列車と違って振動がないから、また違うのだろう。音楽の拍子と振動が絶妙なポリリズムを形成することによって多幸感が生まれるのではないか。きっとそうに違いない。わたしはまた音楽に集中しようとした。徐々に言葉はひとつも出てこなくなって頭のなかが音楽でいっぱいになる。眠りに落ちるその瞬間、確かに言葉をすべて失い、わたしは宇宙と一体化していた。境界線を完全に逸していた。だがつかの間、頭のどこかで危ないという言葉が生まれ、また目が覚めた。これのことか。しかし境界線のある世界でわたしはどうしようもなく一人だった。

 朝起きて、洗顔とうがいの次にわたしがしたことは、フロントからパナソニック製レッグリフトを借りることだった。SNSをフォローすると無料で借りることができると、貼り紙が告げていた。食堂車をイメージした共用スペースで、脚を力いっぱい機械に揉みほぐされる。わたしはタブレットを開いた。無料Wi-Fiに接続し、おもむろにタイタニック号の犠牲者たちについて調べ始めた。子供たち、若者、女性、老人。多くの犠牲者の名前が一人一人掲載されているページを眺める。銀河鉄道は全員を乗せることができただろうか。彼らはやがてひとつになったのだろうか。

 チェックアウトをして「北斗星」を出た。外は雲ひとつなく晴れ渡っている。通りを歩く人は誰もいない。わたしはこうしてまた、カムパネルラなしで生きていく。

(つづく)

参考文献
宮沢賢治『新編 銀河鉄道の夜』(新潮社)、一九八九年

著者紹介:わかしょ文庫(わかしょぶんこ) 91年生まれ。都内在住の会社員。昨年5月に出したエッセイ集「ランバダ」がひそかに話題を呼ぶ。11月に文学フリマ東京に出品した続編「ランバダ vol.2」も好評を博す。Twitter @wakasho_bunko

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