WEB連載「うろん紀行」が2021年8月に
書き下ろしを加えて書籍として代わりに読む人から刊行されました。
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第5回 河口湖
四時五十分に起きさえすればよかった。荷造りは済んでいた。アラームは指定通りに鳴ったし、起きることはできた。しかし、起きぬけから頭のなかは悲しみでいっぱいだった。急いで支度をして、レキソタンを引っ張りだし、かじりながら日の出前の商店街を歩いて駅へと急いだ。
飛行機が墜落する夢を見た。コクピットのある頭の部分が、ど根性ガエルのように潰れる夢だ。わたしが同行者もろとも跡形もなく焼け焦げたことを報じるニュース映像を、他ならぬわたし自身が見ていた。これは凶夢で、強いストレスと休息の必要性を暗示しているらしい。
だが今日こそは何がなんでも、天下茶屋に行かなければならない。他の場所では心もとない。目的地への距離が遠ければ遠いほど、いいものが書ける。わたしは無根拠にもそう、信じていた。どうしても、天下茶屋に行かなければいけないのだ。太宰が昭和十三年の秋、ふた月ほど滞在して英気を養った天下茶屋に。そのときのことを書いた『富嶽百景』が、わたしは太宰の作品ではいっとう好きだ。
天下茶屋に行くためには、最寄り駅からまず品川まで出て山手線で新宿、乗り換えて中央線で立川へ行く。向かいのホームの列車に飛び乗って終点の大月に着けば、富士急行線で終点の河口湖駅へ。そこからまた「天下茶屋行き」のバスに乗る。乗換回数はなんと五回。
「天下茶屋行き」のバスは、九時三十三分着と十時十八分着のふた便のみ。天下茶屋は終点なので、そのまま折り返しの便になる。すなわち十時十八分の便が終バスである。
大月までずっと寝ていた。口を開けて寝ていたから、襟巻がよだれでべったりと濡れていた。唾液の臭いにうんざりしながら、アナウンスが富士急行線に乗り込むよう急かすのに従う。不明瞭な意識のまま1番ホームにたどり着いた。ICカードの人はそのまま通っていいらしい。
ホームでわたしを待ち構えていた列車には、機関車トーマスと仲間たちが描かれていた。乗り込むと、リュックサックのサイドポケットにストックを差し込んだ登山客たちが、ずらりと並んで座っている。彼らリタイア世代と思しき男女は、楽しげに笑いあっていた。なんなんだ、この光景は。立ちすくむわたしに気を利かせ、紳士が詰めてくれると、ゴードンやらパーシーやらがプリントされたカラフルなシートが見えた。気負いしながら、彼らの顔面めがけてわたしはそっと尻を埋めた。まばらに紅葉がはじまっているのが見えた。列車は動きだす。日も差し、いくぶんか気持ちも明るくなってくる。
「ここから三キロほど、百メートルもの勾配を一気に登ってまいります。富士山と電車が一緒に撮影できる、評判のフォトスポットとなっております」
車掌のアナウンスが告げた。乗客はおもいおもいに立ち上がってカメラを取り出し、いい案配の場所を探している。あっ! 富士。
さすがにほかの山とは大きさが別格である。真っ白な雪で覆われており、それはわたしに綿帽子を思い起こさせる。
「あら、きれいね」
隣に座っていたご婦人が、夫へか、それとも自分自身へか、歓声をあげた。
「雪が降ったからよかったのよね。白くて輝くようだわ。ほんとうにきれい。今日にしてよかったわ。ね、お父さん」
お芝居のようだった。ご婦人の情感たっぷりの台詞回しは、ほかの登山客にはどう聞こえたのだろう。なんだか照れてしまった。
河口湖駅に着いた。澄んだ空気のなか、富士山がどしんと佇んでいる。駅前のロータリーにはバス停がいくつもあり、どれに乗ればよいのかわからない。あっちでもなし、こっちでもなし、と駆け回るうちに出発時刻が近づいていく。汗まみれになりながら観光案内所の係員に聞くと、中央のバス停だと教えてくれる。すでに長蛇の列だ。
「あのう」
列の最後尾と思われる、登山服姿の男性におそるおそる話しかける。
「このバスは天下茶屋行きですか」
「そうみたいです。まさかこれほど混むなんてね」
男性は困ったように笑った。登山客からしても、想定外であったようだ。
バスはすぐに来た。座席は早々に埋まった。乗ることができただけでも感謝するべきなのだろうが、山道を三十分程度、立って揺られなければならなくなった。わたしはすこし落ち込んだ。立っていてはあのシーンの真似ができない。
わたしは窓の外を眺めた。もちろん、月見草を探すためである。有名な話であるが、太宰が月見草と呼んだ黄色い花は月見草ではない。オオマツヨイグサだ。月見草の花は白い。わたしはオオマツヨイグサを探した。事前に図鑑で調べており、特徴は頭にはいっている。レモン色の大きな花。目を皿のようにして山道脇をくまなく眺めた。しかし、一本たりとも生えていなかった。
つくづく野暮だと思った。偶然、網膜に可憐な花一輪、焼き付くから美しいのであって、血眼になって探してはいけない。太宰に嘲笑られると思った。それともあきれてそっぽを向くだろうか。
オオマツヨイグサは見つからなかったが、黄色い花がいくつか咲いているのが見えた。セイタカアワダチソウだ。北アメリカ原産の外来種で、その名の通りに背が高く、小さな黄色い花をいくつも咲かせる。昔、住んでいた家の横の空き地にこの花が生い茂っており、近づくとくしゃみが止まらなくなるものだから、母はこの花を忌み嫌っていた。わたしもそれでなんだか、醜い花だと思うようになった。けれども実は、セイタカアワダチソウの花粉では、アレルギーにはならないらしい。陰に隠れて咲いていた、ブタクサかなにかの花粉に反応していたのだろう。根拠のない説にまどわされ、冷たくあたってしまった。こうしてあらためて見ると、セイタカアワダチソウの鮮やかな黄色の花は、じゅうぶんに美しいような気がした。せっかくだし、セイタカアワダチソウを今日は月見草だと思うことにしよう。
バスはいくつか停留所を過ぎたあと、「三ツ峠登山口」に停まった。乗客は次々と降り、ついにはわたしひとりだけになってしまった。バスは貸し切りとなり、贅沢であるような、心もとないような、そんな気分だ。がらんどうになったバスは運転手とわたしだけを乗せ、山道をスピードを上げて登っていく。崖の下に転落しても誰にも気づかれないだろう。
「終点、天下茶屋です」
聞こえるか聞こえないかの声でアナウンスがあった。わたしはバスを降りた。天下茶屋は目の前にあった。この木造の建物が、あの天下茶屋なのか。想像していたより、よほど風情がある。古い建物が観光地化すると、場違いな看板や修繕の跡によりテーマパークのようになってしまうことがままあるが、天下茶屋にはそれがなかった。窓ガラスは古いものなのか、わずかに厚さにばらつきがあり、昭和十年に建っていたときと、さほど変わらないのではないか。ありがたいことだ。
振り返るとそこには富士がいる。ふもとの山々は、河口湖のきらめく湖水を抱え込むようにしている。これがまさに、太宰のたとえた風呂屋のペンキ画! けれどもわたしは、富士山が描かれた銭湯になんて行ったことがないのだ。ベタだろうがこれは絶景。富士三景だというのもうなずける。夢中でパチリ、パチリと写真を撮り、そうして、はっと気がつく。しまった。これは最後にやろうと思っていたことだったのに。つくづく間が抜けている。
まだ十時前だが昼食をとることにした。貼り紙に、「ラストオーダーは日没」「自由に席に着かないでください」とあり、緊張して戸をひく。
「ごめんください」
声が情けなく震えている。
「おひとりさま? どうぞ」
存外に愛想よく接客されて拍子抜けした。観光地でよく出会うぞんざいな扱いではなかった。なかは広く、椅子席か座敷、もしくはオープンテラスが選べた。寒かったのと正座をして下肢の血流を上半身に戻したかったので、座敷を選んだ。客はわたし一人しかいなかった。
「すみません、きのこほうとうをひとつ」
「はい、きのこほうとうをおひとつ。そうだお客さん、今ならプラス二百円で天然のなめこにできるんですが」
天然のなめこにした。水を飲みながら座敷を眺めた。着物姿でくつろぐ男性の大判の写真が飾られていたので、近づいて見た。若いころの石坂浩二だった。男前だと思った。壁には太宰をモチーフにしたいくつかの映画のポスターが飾られ、梁は著名人のサインでいっぱいになっていた。目立つところに又吉直樹のサインが飾られていた。去年、五所川原市の「太宰治疎開の家」に行ったときも、館長が
「先日はピースの又吉さんがお見えになられて」
と言っていた。なんだか太宰の追っかけをしているというよりは又吉の追っかけをしているみたいだ。そんなことを考えながらぼんやりとほうとうを待つ。二十分くらいかかると言われ、さすがに手持無沙汰で、石油ストーブの火を眺めたり、土産物を物色したり、メニュー表の「太宰風地酒」という文字を見ながら、風とは、と思ったりした。
ほうとうは洗面器くらいの大きさの鉄鍋にたっぷりとはいり、湯気を立ててやってきた。天然のなめこはそれぞれが五百円玉くらいのサイズがあった。味噌仕立ての汁はとろみがあって火傷をしそうだったので、ふうふうとしてから口に運んだ。おいしかった。麺は人間の耳たぶのような感じがして、ごろりとしたかぼちゃはほっくりと仕上がっている。すっかり満腹した。
食べているうちに続々と他の客がはいってきて、またたく間に席が半分以上埋まった。バイク乗りが多いようだ。わたしと同い年くらいの男女のグループがやってきて、座敷に座った。
「見て、又吉のサインだ」
「又吉、太宰のこと好きだもんね」
「誰だっけこの写真の人。なんでも鑑定団に出てたよね」
みんな見るところは同じもんだなと思った。
景気づけに甘酒を頼んで飲み干し、会計を済ませると二階にあがった。ここの二階は「太宰治記念室」になっており、太宰の祝言のときの写真やらが飾ってある。隣の部屋には太宰が使った机と火鉢が展示されていた。ひとつずつ注意深く眺めていると、驚くべき展示を見つけた。それは、『富嶽百景』に出てくる娘さんのモデルの方の最近の写真で、なんと二〇一七年の撮影時に九十五歳、現在もご存命であるという。なんだかうれかった。
太宰よりも縁があったであろう井伏鱒二のコーナーは、写真が二枚あるきりだった。もっと紹介したほうがよいのではないか。茶屋の人に言おうか、そんなことを逡巡したが、ではあなたが資料を持ってきてください、と言われても困るので、何も言わないことにした。
階段を降りて茶屋の人に軽く会釈し、天下茶屋を出た。すこしだけ歩いてあの有名な石碑を見て、戻るともう十二時をまわっている。ドライバーやバイク乗りたちが次々と降りては、景色を眺めたり、煙草をふかしたり、休憩をしに茶屋へはいっていったりしていた。富士は厚い雲に覆われ、もう見えなかった。ふふん、わたしは見たのですよ。ええ、今日の富士をね。そりゃあ、きれいなもんでしたよ。口にこそ出さなかったが、得意だった。ここまでもうバスは来ないけれども、来るバス停まで歩けばいい。六キロ弱あると、調べて知っていた。わたしは車道を下っていった。木々に陽があたり、美しかった。ポケットに手をいれて歩いた。なんだか自分がいい人間になったように思われた。わたしは突如、茶屋に売られていたタブレットケースが欲しくなった。
「富士には月見草がよく似合ふ 太宰治」
石碑と同じその文言と、黄色い花が刺繍されていた。野暮ったかった。
いま来た路を、そのとおりに、もういちど歩けば、タブレットケースはある。わたしはポケットに手をいれたまま、ぶらぶら引き返した。そうしてタブレットケースを千八百円で購入した。満足であった。
バス停まで、結局一時間半くらい歩いた。序盤こそ陽気だったものの、だんだんと景色も見飽きて、股関節が痛み、自分の浅はかさを呪った。タブレットケースに手持ちのタブレットがはいるかどうか、わからないことに気が付いた。わたしは骨の髄まで愚かであると思った。
ようやくバス停にたどり着いた。時刻表を眺めると、バスが来るまであと一時間くらいかかることがわかった。わたしはバスの時間を勘違いしていたのである。
困っていると、バス停の近くに「珈琲」と書かれたのぼりがあるのが見えた。カフェがあるようだ。どこから入ればいいのだろうとうろうろしていると、ペイズリー柄のモンペをはいた六十歳くらいの女性が、微笑み手招きしていた。化粧っ気はないが美人だ。たくさんのプランターが並べられた小道を、蹴飛ばさないように注意しながらついていった。カフェは想像よりはるかに広々としていて六人掛けのテーブルが三つほどあり、大きい窓から山々が見られるようになっていた。
「うちはね、ハーブは全部自家製なの」
まさかぼったくられるのではないかという疑念に駆られ、女性が差し出したメニューをおそるおそるのぞき込むと、珈琲も紅茶もハーブティーも一律五百円だったので安堵した。
「じゃあその、ハーブティーをお願いします」
注文が来るのを待った。ここはいったいどういう店なのだろう。あの人は何者なのだろう。まさかずっとここで喫茶店をやっていたわけでもあるまいし。きっとたんまりとお金があって、道楽としてはじめたのだろう。結構なことだと思った。
突如、耳の立った赤犬が入ってきて
「ワン」
と吠えていなくなった。驚いていると、窓からデニムの作務衣を着て頭をまるめたおじいさんが、さきほどの赤犬を抱えてはいってくる。
「いやいや、失敬失敬。君が歩いているのが見えてね」
なにも言えないでいると
「ここは、おれとカミさんの店。こいつは、マル。おれにしかなつかないの」
そう言ってマルともどもわたしの前にどっかと座り、煙草をふかし始めた。呆然としているとハーブティーが運ばれてきた。薄桃色の花びらが何枚も浮かんでいた。飲むとカモミールのような、薬品のような、飲んだことのない味がした。おいしいと感じたが、どこかサッカリンのような甘みもあった。
店主はこの地へは十年ほど前に越してきたこと、富士山の陰になっているのでテレビがはいったりはいらなかったりすること、テレビがはいらないときは大抵雨の前触れなので、天気予報代わりになっていいこと、などを話しはじめた。はあ、そうなんですか。わたしは相槌を打ちながら、タイミングを見計らってはハーブティーを口に運んだ。
「ここはね、カフェでもあり、お寺なの。中国にお師匠さんがいてね。おれはお坊さん」
だから作務衣を着ているのか。在野の
「君、ひとりで来たのかい」
はい、そうですと答える。
「ええっ。友達も、ボーイフレンドも一緒じゃなく、一人でこんなところに来るなんて。変わっているよ、君は。独り身かい。結婚は」
曖昧に笑っていると、聖はじいっとわたしを見つめてきた。
「一応、今月入籍する予定なんです」
そうなのだった。だから今回はどうしても『富嶽百景』にしなければならなかったのだ。けれどもわたしは、いまのいままでそれが書けなかった。気恥ずかしかったのである。
聖は驚き、おめでとうと言った。犬のマルは胡散臭そうにわたしを見ては、聖にかまってもらいたがった。わたしも、わたしよりはマルにかまっていてほしかった。
聖はさもうまそうに煙草のけむりを吐き出し
「カミさんとはね、再婚なの。前の奥さんはねえ、離婚するときに、わたしには育てられないからって三人子供を預けて出て行っちゃった。全員女の子ね」
偉いな、と感心して黙っていると聖は続けた。
「最初の奥さんはね、デキ婚。おれ家庭教師の先生だったの。六月に大学の寮に押しかけてきて、そしたらもうおなか大きくて。ええっ、一回しかヤッてないぞ、おれって」
目を白黒させていると、聖はかっかっか、と愉快そうに笑った。とんだ聖もあったものだ。聖の饒舌はとどまることを知らず、かつて自分がIT会社の社長であったこと、自社ビルを持っていたことなどを得意げに話し、最終的には
「家は建売物件を買いなさい」
という至極通俗的な教えを賜った。わたしはありがとうございますと言いながら、建売でも無理だなと思っていた。そろそろバスの時間なので、と話を遮るようにして、会計をすませてカフェを出た。
バスは無事に来た。揺られながらわたしは「太宰治記念室」のとある写真のことを思い出していた。それは記念碑の除幕式のときの写真で、太宰の長女である園子が写っていた。髪をリボンで結わえ、別珍のワンピースを着ておめかしをしながらも、彼女はむくれていた。その顔はやりきれない怒りと悲しみに満ちているように見えた。横にたたずむ美知子夫人も、うつむいて表情は暗かった。
タブレットケースをいれてくれたポリ袋には天下茶屋の紹介文が書いてあった。そこには、太宰は晩年の一年前に天下茶屋を再訪した、とあった。これだけの場所を訪れても、死ぬ人間は死ぬ。
河口湖が見えた。湖水は冷え冷えとしているように感じられた。ふと、わたしは体の端から芯までが急に冷たくなったように感じられた。こうなるともうだめで、温かいものを飲もうが湯船につかろうが、身体の奥が氷でできたようになって、何もすることができなくなる。息苦しさを覚えた。まるで肺の中に湖の水がはいってきたみたいだ。
わたしはこの先いい文章が書けるのだろうか。結婚はどうなるのだろうか。自分は何にもまともにできないんじゃないかというような気がしてたまらなくなった。わたしの小さな目に涙が浸み出した。顔全体をぬかるみのようにしながら、わたしはそっと文庫本を開いた。
素朴な、自然のもの、従って簡潔な鮮明なもの、そいつをさっと一挙動で摑えて、そのまま紙にうつしとること
これだ。これがやりたい。わたしはレキソタンをとりだして数錠口に含んだ。そうしてぼりぼりやった。いまは季節の変わり目だから。これはいつもなるものだから。舌が粉まみれになった。まだ、もうすこし。そうだ、夏に着る服を買おう。
バスは駅前についた。わたしは富士を見た。それはただそこにあった。
(つづく)
参考文献
太宰治『走れメロス』(新潮文庫)、一九六七年(『富嶽百景』を収録)
著者紹介:わかしょ文庫(わかしょぶんこ) 91年生まれ。都内在住の会社員。5月に出したエッセイ集「ランバダ」がひそかに話題を呼ぶ。11/24(日)文学フリマ@東京にて「ランバダ vol.2」を出品予定。Twitter @wakasho_bunko