WEB連載「うろん紀行」が2021年8月に
書き下ろしを加えて書籍として代わりに読む人から刊行されました。
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第2回 東向島
浅草から東武スカイツリーラインに乗ると、スカイツリーは早々に過ぎ去っていく。巨大なマイナスドライバーのようなそれを背に、わたしは浅草から三駅の東向島駅へと向かった。
東向島駅は、かつては玉ノ井駅という名前だった。関東大震災後から一九五八年の売春防止法施行まで栄えた色街だ。永井荷風『濹東綺譚』では玉の井と表記される。改めて説明するまでもないが、『濹東綺譚』は初老の作家と娼婦の邂逅が描かれた、昭和初期の新聞小説である。
わたしにとって永井荷風と闇金ウシジマくんがセットになってしまって久しい。仕事での地位も家族も失った男が
「俺は金もないし休日は会う人間が一人もいないけど、大好きな永井荷風の行きつけの蕎麦屋巡りとかして充実してる。趣味の世界に移住するわ。」
と打ち明けるエピソードがあるのだ。社会からつまはじきにされ、落ちるところまで落ちても、教養は精神の滋養になりうるのかという救いがあった。
他にもある。永井荷風は関根歌という妾と一緒に暮らしていたとき、口淫の悦楽追求のために歯を全部抜かせたという。一方、『闇金ウシジマくん』では、ありとあらゆるむごいことをやってきた悪党が歯を全て抜かれて山中に埋められる回があるのだが、十年以上前にmixiの闇金ウシジマくんコミュニティで、その回について「埋められる直前にフェラ奴隷にされた説」を唱えていた者がいた。そのこともあって、永井荷風と闇金ウシジマくんが、わたしにとっては不可分のものになってしまったのである。
東向島駅は片側改札のシンプルな駅だった。構内を出てすぐ、マクドナルドとドトールがある。自転車に跨った女子小学生が、ピンクの口紅を塗っておめかししていた。おませだなと思った。
さっそく荷風が通い詰めたあたりを散策してもよかったのだが、お昼時である。蕎麦屋ではなくカツ丼屋でもなく、事前に調べていた食べログ評価の高い洋食屋のある反対方向へと歩き出した。炎天下に汗をぬぐいながら隅田川のほうへと歩みを進める。川の向こう側は南千住らしい。そうなのか。わたしは地理に疎い。
洋食屋は清潔で席数が多かった。平日だが夏休みなので家族連れが多い。なんだか自分が無職のようで居心地が悪い。なんともないような顔をしてカウンターに座る。減量中なので、(B)120gステーキ定食を注文した。税込1050円。現在の消費税率は8%だ。
ビフテキは美味しかった。大きめにカットし、力強く噛みしめると口いっぱいに肉汁が広がる。上顎から脳天へ突き抜けていく馥郁たる肉の香り。やっぱり歯は大事だ。たとえ多額を払い身請けした芸妓であろうと、尺八のために歯を全部抜かさせるのは鬼畜だなという気がする。ポリグリップのようなものもないだろうし、煎餅も口のなかでふやかして食べないといけないだろう。同じく若くして総入れ歯だった太宰は、豆腐ばかり食べていたらしい。Googleの画像検索によれば、まだ男盛りの荷風のとなりに佇む関根歌は、ほっそりとして眼鏡をかけた知的な美人で、フリーアナウンサーのようでもある。そのまま関連画像を見ていくと、ダンサーをはべらせてにんまりとした笑みを浮かべる狒々爺然とした荷風。幸せそうである。男、斯くあるべし。願わくは自分も将来こうなっていたい。狒々爺の写真をいくつも辿っていくと、あいた荷風の口に前歯がない。あれ、もしかして。いや、そんなまさか。
ビフテキに満足して店を出ると、早速散策だ。熱風に吹かれ、あっという間に全身から汗が滴り落ちた。虫に刺されたような気がして二の腕をひっかいたが気のせいだった。
戦前の玉の井は建物がごちゃごちゃと立ち並び、複雑な道を形成していたという。荷風が「ラビリント」と形容したその一帯は空襲で焦土と化し、当時の道はほとんど残っていない。だが現在の東向島も小さな道が入り乱れ、十分に迷宮である気がした。しかし当たり前だが現在、売春は違法であり、この町でおおっぴらに春をひさぐ女たちはいない。今の東向島は道がややこしいだけの住宅街だ。新築の住宅も多い。
玉の井には、銘酒屋(めいしや)あるいはカフェと呼ばれる店が軒を連ねていた。一階が飲食店の体をなしているが、その実二階が本体で、女給が本番行為をするのだ。彼女たちは二階の飾り窓から手を振って、お兄さんちょいと遊んで行きなよ、などと声をかけたらしい。戦後、空襲で焼け落ちてからも玉の井にはまたカフェが建てられ、今度は赤線地帯となった。すなわち、赤線廃止以前ということは築六十年以上、かつ、一階部分が店舗で二階に飾り窓のある建物は、カフェであった可能性のある建物ということになる。荷風が通い詰めた時分の建物は残っていなくとも、せめて戦後に建てられたものでもいいから、かつてカフェであった建物を見てみたい。
うねうねと入り乱れた複雑な小道を、飾り窓、飾り窓、と思いながら歩く。強い日差しに頭が朦朧としてくる。また行き止まりだ。あのかすみ草を象っているようなフレームは飾り窓と呼べるのか。いやでも築六十年には見えない。この建物は? たしかにトタン葺きで築年数はありそうだが、窓枠はただのアルミサッシで飾り窓とは言い難い。そもそも考えてみれば、世の中の個人商店はほとんどが一階を商店、二階部分が窓を持つ住居とするのではあるまいか。どの家もカフェであったように思われるし、そうでなかったようにも思われる。わたしはこれぞ、という飾り窓を探して東向島をさまよい歩いた。よその家の窓ばかり覗いて、これではさながら空き巣である。いま巡査に尋問されたらどう答えればよいのか。へへへへ、飾り窓を探していまして、と下郎口調で答えたら、はたして巡査は解放してくれるのだろうか。
結論を言えば、かつてカフェであったのではないかと思えるような建物はあった。だがその建物は、表札がかけられ、いまだに住宅や個人商店として使われていた。ゆえにここにその写真を掲載することは避けたい。どうしても見たい人は、「玉の井」と画像検索をすると、飾り窓の詳細説明を含む個人ブログがわんさか出現するので参考にされるとよい。
『濹東綺譚』に描かれた玉の井は、人々が活き活きと描かれ、清貧の魂が根付くささやかな楽園のようだ。しかし本物の玉の井は、美しいだけの場所ではなかったらしい。『濹東綺譚』でも蚊の多さと溝の臭気には触れられているが、『玉の井 色街の社会と暮らし』によれば、当時の玉の井では下水道はまだ整備されておらず、生活排水がどぶにそのまま流されていた。糞尿がたまった肥壺から立ちのぼる臭いとそれを消すための消臭剤が混ざりあった臭い。お雪はその臭いに囲まれて氷白玉を食べたのである。
わたしは『濹東綺譚』を読むたびに、失われた昭和の叙情がありのままに描写されているんだろうな、などと感傷的なことを思ってしまいがちだ。だが、荷風が玉の井の負の側面を控えめに書いたであろことは留意しなければならないだろう。当時の読者にとっては、醜さや汚さをあえて控えめに書いていることは自明のことだったはずだ。『濹東綺譚』は、書かれた時からすでにファンタジーだった。ファンタジーであるがゆえに、『濹東綺譚』はいつ何時どこから読んでもわたしの胸を打つのだ。例えばここなんかである。
濹東綺譚はここに筆を擱くべきであろう。然しながら若しここに古風な小説的結末をつけようと欲するならば、半年或は一年の後、わたくしが偶然思いがけない処で、既に素人になっているお雪に廻り逢う一節を書添えればよいであろう。猶又、この偶然の邂逅をして更に感傷的ならしめようと思ったなら、摺れちがう自動車とか或は列車の窓から、互に顔を見合しながら、言葉を交したいにも交すことの出来ない場面を設ければよいであろう。
楓葉荻花秋は瑟々たる刀禰河あたりの渡船で摺れちがう処などは、殊に妙であろう。
「楓葉荻花」や「瑟々たる」なんて、普段使わない。意味するところはわかるが、考え事をするときに使うことはない。かわりにわたしの頭のなかに詰まった語彙は、闇金ウシジマくんやらポリグリップやらである。そもそも語彙が違うのだから思想も違う。本物のエリートとして生まれ、細胞のひとつひとつに戯作文学と教養と階級が染み付いた人間の言葉。荷風の骨格をなす近代を、こういったものであったのだろうかと想像することはできても、生きることはできない。わたしの血肉にはできない。わたしは、自分の快楽のために愛人の歯を全部抜かさせることなんて、とてもではないができない。でも荷風にはできた。そのような傲慢さを傲慢であるとも思いもせず発揮できる人間にしか『濹東綺譚』は書けないのだろう。
だが、『濹東綺譚』の大江とお雪がともに二階で雷を見ていたときはどうだっただろう。わかり合えるはずのない身分も年齢も立場も違う二人が、わかり合えないという一点においてわかり合えていた。人と人は決してわかり合うことはできないし、何も共有することができない。もし共有できていると互いに思うのならば、それは共有できているという幻想を共有しているに過ぎない。それすらも確かめる術もない。人と人が唯一共有することができるもの、それはこのわかり合えなさ、共有できなさでしかないのだ。そしてまたわたしも、何もわかり合うことができないという事実だけを荷風と共有している。あなたもまた同じはずだ。だからその意味では、わたしたちはすでに荷風なのだ。
わたしが『濹東綺譚』を読むときに現れる玉の井は、現代の言葉からおそるおそる組み立て上げたはりぼてにすぎない。そもそもファンタジーなのだし、わたしには近代が染み付いていないからだ。わたしにはどうしたって『濹東綺譚』の時代を生きることはできない。わたしがどれほど胸打たれようが、現代の語彙、道徳、思想でしか『濹東綺譚』は読めない。それは絶望的なことにも思えるが、優れた古典は古びないという言葉と裏表でもあるはずだ。
東向島の探訪から幾日かが過ぎた。わたしは、どの街へ行っても、一階が店舗で二階部分が住居の建物を見るたび、ぎょっとしてしまうようになった。若いのに白粉焼けをした女性が、微笑みをたたえて手まねきしてやいないか。そしてわたしを、近代へ連れて行ってはくれやしないか。わたしは眩しい光が差し込みでもしたかのように目を細めた。『濹東綺譚』は、わたしの目に映る現在の景色を変えたのである。
(つづく)
参考文献
永井荷風 『濹東綺譚』 (本文は青空文庫を引用)
日比 恆明『玉の井 色街の社会と暮らし』 、自由国民社
真鍋昌平『闇金ウシジマくん17巻』『同 29巻』、小学館
著者紹介:わかしょ文庫(わかしょぶんこ) 91年小樽生まれ。札幌で育ち、大学進学に伴い上京する。会社員。著書に日常の悲喜こもごもをまとめた「ランバダ」シリーズがある。嫌いな食べ物は特にない。Twitter @wakasho_bunko