うろん紀行

わかしょ文庫


第3回 犬吠

 苦い思い出がある。十七歳のとき、おもしろいからと押し付けるように友人へ本を貸した。古川日出男の『ベルカ、吠えないのか?』だ。二人称の語りかけるような文体で、戦争と運命に翻弄される犬たちの二十世紀が語られる同著に、わたしはすっかりはまっていたのだ。絶対に楽しんでもらえるだろうと思っていた。

 彼女はひと月後、おずおずと本を返してこう言った。
「ごめん、無理。読めなかった」

 ショックだった。その子は本が好きで、わたしは彼女に、カポーティや村上春樹を貸してもらったことがあったのだ。でもわかってもらえなかった。じゃあ誰にわかってもらえばよかったのか。

 わたしの高校は当時、全校生徒を合わせると千人くらいいたはずだが、そのなかに『ベルカ、吠えないのか?』を読んだ人はいたのだろうか。わたしの仲間は、そこに一人ぐらいはいたのだろうか。うぉん。十年以上前のことだが思い出して悲しくなり、わたしは遠吠えがしたくなった。うぉおおおおおおおん。犬を真似て遠吠えをするなら、犬吠埼に行くのがいいだろう。そうだ、犬吠埼に行こう。

 犬吠埼はわたしの生活圏からかけ離れている。なにしろチーバくんで言えば耳の先だ。片道三時間半はかかる。直通バスもあるが、電車を乗り継いで行く。

 千葉駅まではそれほど遠くに感じなかった。だが総武本線に乗り換えてからが果てしない。街は過ぎ去っていき、住宅地が現れる。家、家、家、家、そして田んぼ。田んぼ、田んぼ、田んぼ、畑、田んぼ、畑。すこし寝る。そうしてわたしは総武本線の終点、銚子駅へ着いた。ここから銚子電鉄に乗り換えるのだ。

 駅を出たあとに右と左のどちらに行けばいいのかわからず、案内板を見ると、改札を出ずに2・3番線のホームを進んでくださいとあった。指示に従うと、水色と青の車体が奥に見えた。二両編成だ。銚子電鉄はなんと、まだ電子マネーに対応していないらしく、乗り込んだあとに車掌さんに直接お金を支払い切符を買う。お釣りでもらった五百円玉が、見たことがないくらいに酸化しており、ところどころ怪しく虹色に光って宇宙を思わせる。

 車両は古びていた。赤紫色の座席のシートも、スプリングが劣化しているのかなんだかぎこちない。小さな車体が走り出すと、蛇腹状の連結部分がちぎれそうなほど軋んだ。連結部分を覆うベージュのカバーは、ところどころ錆の色がうつって赤茶けている。横転したら嫌だなと思いながらも、内心でははやる気持ちを抑えられない。古いものがメンテナンスされながら動いているのを見るのが好きだ。

 線路脇すぐのところに木が何本も植えられている。その木から伸びる枝が窓ガラスをなでるので、ぴしぴしという不穏な音が始終、車内に響いている。剥き出しの蛍光灯が何度か点滅した直後、犬吠駅についた。

 犬吠駅は平面的な白いアーチがあり、舞台の書割のようだ。ポルトガル風らしい。移動時間が長かったのでお腹が減っていることに気がつき、売店でぬれ煎餅を買う。ぬれ煎餅を食べると必ず普通の煎餅が食べたくなるのはわたしだけだろうか。そう思いながら、犬吠埼へと歩き出す。

 道中、人間にリードをひかれ散歩する真っ白な老犬とすれ違った。耳が垂れているので洋犬だろう。ラブラドールだろうか。

 祖父の家でも白い犬を飼っていたことを思い出す。小さな雑種の雌犬だった。アイヌ犬の血を引いていて、その証拠に舌に紫色の斑があった。アイヌ犬は猟犬だから、熊にも立ち向かう勇敢さを持つ。その犬もそういった資質を受け継いでいたが、祖父は犬のしつけをちゃんとするような人ではなかったので、勇敢さは別の形で表れていた。チコちゃんというその犬はいつも吠えていて、人間にも容赦なく噛み付いた。噛まれた手には米粒大の小さな穴があいた。孫が血を流しているのを見た祖父は怒り、素手や時には角材でチコちゃんをぶった。だがチコちゃんは怯えるということがなかった。鎖に繋がれてもなお恐ろしい犬だったな、と思う。チコちゃんはある日、血を吐いて死んだ。

 チコちゃんの次に祖父が飼ったのは大きな雑種の赤犬だった。柔和な顔立ちで、由仁町からもらわれてきたのでユニちゃんと名付けられていた。ユニちゃんはおとなしく賢かったので、子どもが仕込む雑なお手にも従った。

 ユニちゃんは突然子犬を六匹産んだ。それなりにかわいがられていたが、妊娠に誰も気がついていなかった。誰に教えられたというわけでもないのに、ユニちゃんは孤独にお産を済ませ、胎盤と一緒に産んだばかりの末っ子も食べた。そうしてけろっとしていた。かわいらしい子犬たちはもらわれていき、ユニちゃんはまた一匹になった。そして脱走した。手分けをして探しても見つからなかったが、よく似た犬を近所の人が連れているのをおばが見つけた。おばが犬を見ていることに気がついたその人は、気まずそうに立ち去ったという。それからユニちゃんによく似た犬が祖父母宅周辺で散歩をすることは二度となかった。

 犬たちの記憶に惑わされているうちに、潮風の匂いとともに視界が開けた。水平線を覆う広大な灰色の海に圧倒され、一人なのに、おお、とか、ああ、とか言ってしまう。

 犬吠埼は、義経が愛犬の若丸を置き去りにした場所だという伝説が残っている。若丸は義経を恋しがり遠吠えしたので、犬吠埼というわけだ。

 見晴らしのよい高台から海岸沿いに目をやると、大きな旅館が廃業したのか、建物に黒いシートがかけられていた。そういえばここに来る途中も、水族館がひとつ潰れていた。中ではイルカが置き去りにされているらしい。

 犬吠埼では海岸まで降りていくことができた。見たことのない風変わりな植物が生い茂る階段を降りていくと、地層が剥き出しになっているのが見えた。海から陸に向かって、せりだすように海岸が隆起している。白亜紀の頃の地層もあり、国の天然記念物に指定されている。

 波が強い。潮風が唸るように強く吹いて耳の中でごそごそと響く。遠吠えをするなら今だ、と思い、手すりを掴んで口を開けた。けれども黙ったまま、恥ずかしくなってすぐ閉じた。平日だが海岸は全くの無人というわけではなく、若いカップルがいたのだ。二人を脅かすわけにはいかない。それにわたし、別に犬じゃないしな。

 階段をあがり、高台に戻った。犬吠テラステラスという名前の小洒落た建物があったので中にはいる。今年の元旦にオープンしたばかりだという。

 二階の休憩スペースにハンモックがあったので、ありがたく横になった。BGMになぜかハワイアンがかかっている。スライディングギターの音を聴きながら、ところどころ白く泡立つ灰色の海を眺めてぼうっとした。犬吠埼ねぇ。犬。うぉん。

 友人や上司からかわいらしい愛犬の画像なり動画なりを見せられても、ピンとこないことがある。たしかにかわいいなと思うし、そう口にする一方で、かわいいという言葉だけに収斂させきれないものをどうしても感じてしまう。

 人間に愛玩されるべく洗練された犬は、まるで工業製品のようだ。愛犬家たちはその人工的な部分をのみ愛しているように感じてしまう。犬たちも好きで特定の犬種に生まれているわけでもなかろうに、かわいらしく生まれてきてしまった運命によって、従順にかわいがられざるを得ない。愛玩されるためだけに生まれてくる命と、その命を完全に支配する人間。それはとてもグロテスクな関係に思われる。もちろん犬を飼ったことがないわたしよりも、愛犬家たちのほうがその事実に気がついているはずだ。けれども、見て見ぬ振りをして犬をかわいがる。犬たちだって生まれてきてしまった以上、愛犬家たちにかわいがられたほうが幸せに生きることができるだろう。たとえばわたしの祖父に飼われるよりかは。

 けれども犬は、時折白目を剥くし、あくびをすれば肉の色をした歯茎が剥き出しになる。糞尿は臭く、人工的な造形物にはなりきれない。犬の牙はどうしたって、肉を切り裂くためにあるとしか思えない形をしている。それはぬいぐるみのような小型犬だって同じだ。発情すれば勃起するか陰部から血を流すし、お産をすれば胎盤も弱った我が子だって食べる。機会さえあれば人間だって食べるだろう。

 しかし犬のそういった姿について語られることはあまりない。そういった話はあまり上品ではないとされているし、第一かわいくないからだ。しかし『ベルカ、吠えないのか?』ではかわいいだけではない、本能が剥き出しになった犬の姿が描かれる。犬そのものが何度も露わになる。まるで表紙の犬の口腔のように。

 小説には、誰もあえて話さないような見向きもされない現実が、現実以上に鮮明な現実として存在している。フィクションであっても、そこに「本当」がある。その「本当」に触れたとき、嫌悪感を示すか、膝を打つのか。「本当」だけが放つ眩しい光を、目が潰れることを承知で見据えることができるのか。その勇気がなければ、そもそも小説なんて読めないのかもしれない。

 犬の本当の姿を見据える覚悟があるか。それとも愛玩されるべく作られた部分をのみ愛すのか。どちらを幸せととるかはそれぞれが選べばいいと思う。わたしは臆病者なので勇気はなかったはずだが、運良く犬の剥き出しの姿を見たことがあった。だから『ベルカ、吠えないのか?』を楽しんで読むことができたのだと思う。

 最後にもう一点言わせてほしい。わたしは、宇宙で孤独に燃え尽きた、スプートニク号のライカのことを思って涙したことのある人間としか、仲良くできないような気がしている。そして、ライカのことを思い涙した人なら、きっと『ベルカ、吠えないのか?』を楽しんで読むことができるはずだと信じている。この本は、全ての孤独な犬たちの墓標だ。

 小説のことを考えているとついつい時間を忘れて熱くなってしまう。気がついたらもう日が暮れそうで、わたしは慌てて帰ることにした。銚子電鉄は本数が少ないのだ。ここからまた三時間半か。もつだろうか、腰。わたしも四足歩行だったらよかったのにな。うぉん。

(つづく)

参考文献
古川日出男『ベルカ、吠えないのか?』(文藝春秋)、二〇〇五年

著者紹介:わかしょ文庫(わかしょぶんこ) 91年小樽生まれ。札幌で育ち、大学進学に伴い上京する。会社員。著書に日常の悲喜こもごもをまとめた「ランバダ」シリーズがある。嫌いな食べ物は特にない。Twitter @wakasho_bunko